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東京高等裁判所 昭和49年(ネ)1802号 判決 1976年8月31日

控訴人

三好昌和

外一名

右両名訴訟代理人

白取勉

被控訴人

右代表者法務大臣

稲葉修

右指定代理人

野崎悦宏

外四名

被控訴人

北炭化成工業株式会社

右代表者

太田大造

被控訴人

北海道炭礦汽船株式会社

右代表者

斎藤公

右両名訴訟代理人

西迪雄

外一名

被控訴人

宇部克己

右訴訟代理人

鈴木俊光

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実《省略》

理由

一<証拠>によれば、原判決添付別紙物件目録(一)記載の土地(本件土地)のうち原判決添付別紙図面のFGCHF点を順次結んだ直線内の部分(本件第一の部分)はもと埼玉県北足立郡戸田村大字下戸田字堤外三七五一番ノ二畑一反二畝一八歩、同図面のEFHDEを順次結んだ直線内の部分(本件第二の部分)はもと同所三七五一番ノ一畑二反一畝五歩で、いずれも訴外金子善四郎の所有であつたところ、本件第一の部分は控訴人三好昌和が、本件第二の部分は控訴人三好恒が、いずれも昭和七年一二月二日右金子から買い受けて所有権を取得した(いずれも同日その旨の登記を経由した。なお、その後土地区画整理による換地処分により本件第一の部分は同郡戸田町大字下戸田字菖浦三二九九番畑一反三畝五歩、本件第二の部分は同所三二八七番畑一反三畝二一歩となり((登記簿表題部が右のように変更になつたのは昭和三〇年一〇月一日))、更に両土地はいずれも昭和三三年三月一九日本件土地の一部に合筆された。)ことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

二被控訴人らは、被控訴人国は昭和二四年一〇月二日旧自作農創設特別措置法(自創法)第三条に基づき本件土地のうち第一及び第二の部分を買収する処分(本件買収処分)をしたから、右部分につき所有権を主張する控訴人らの主張は失当であると主張するのに対し、控訴人らは、本件買収処分について、(1)控訴人らに対し買収令書の交付がなく、また交付に代わる公告もなかつたこと、(2)戸田町農地委員会の買収計画につき埼玉県農地委員会の承認がなかつたこと、(3)本件第一及び第二の部分は農地でも小作地でもなかつたこと、(4)右が農地であつたとしても、当時付近一帯の土地について区画整理が進められており、近く工場用地にその使用目的を変更することを相当とする土地であつたから、自創法第五条第五号により買収から除外すべきであつたのに買収したこと、以上の四つの事由を挙げて、本件買収処分は不存在であり((1))、仮にそうでないとしても無効である((1)ないし(4))と主張する。

1  買収令書の交付またはこれに代わる公告の存否について。

(一)  控訴人らに買収令書の交付がなかつたことは控訴人らと被控訴人国との間においては争いがなく、その他の被控訴人らとの関係においても弁論の全趣旨により明らかである。そこで以下に買収令書の交付に代わる公告の有無について判断する。

(二)(1) <証拠>を総合すると、戸田町農地委員会は、本件土地のうち第一及び第二の部分を含む農地五反一四歩について、買収の日を昭和二四年一〇月二日とする農地買収計画(第三九号)を樹立したこと、右買収計画は同年九月一二日公告され、かつ、同日から同月二二日まで戸田町役場において縦覧に供されたこと、同委員会は、同月二三日埼玉県農地委員会に対し右買収計画の承認方を進達したこと(右買収計画の樹立及び承認方の進達の事実については控訴人らと被控訴人国との間においては争いがない。)当時埼玉県では、農地課の職員が、各市町村農地委員会について買収手続が適正に行われているか否かを年一回監査して、買収令書が返戻されてきたり、買収令書の受領証が提出されていない案件については、買収令書の交付に代えて公告を行うこととし、公告を行うべきものについては」対価及び報償金支払一覧表」の「類別」の欄にの表示を施すとともに、公告及び供託手続事務処理の便宜のため、公告を要する者を書き抜いて、これを「民法供託一覧表」と題する表に登載し、右一覧表に基づき埼玉県報に掲載して公告手続を行い、右公告後に買収対価を供託する取り扱いがされていたこと、本件第一及び第二の部分についての「対価及び報償金支払一覧表」(乙第六号証の三、四)には、「支払を受けるもの三好昌和」について「支払うべき対価六三二円一六銭」、「地目・面積畑一反三畝五歩」、「買収令書記号番号埼玉わ310」と、「支払を受けるもの三好恒」について、「支払うべき対価六五七円六〇銭」、「地目・面積畑一反三畝二一歩」、「買収令書記号番号埼玉わ311」とそれぞれ記載され、その類別の欄にいずれもの表示があること、控訴人らが掲記されている「民法供託一覧表」(乙第七号証の一、二)には、「昭和二五年七月三一日現在」との表示のもとに、特に控訴人三好昌和については、公告年月日「昭和二五年二月一一日」、公告事由「送達不能」なる記載がされており、また同控訴人については同年一二月七日買収対価の供託もされている(なお控訴人三好恒は、昭和三〇年五月六日供託書の交付を受け、その後供託金の還付を受けている((供託金の還付を受けていることは控訴人らと被控訴人国との間では争いがない。))ので、控訴人三好恒についても控訴人三好昌和と同じ頃買収対価の供託がされたものと推測される。)こと、本件買収処分関係資料には、土地区画整理組合保管の書類によつて調査したところに従い控訴人三好昌和の住所は東京都豊島区果鴨町五の一一四九とされ、控訴人三好恒のそれは千葉県津田沼町大久保三四八とされているところ、控訴人三好昌和は巣鴨町の住所において戦災に遭い戦後間もなくして肩書住所に移転したものであること、以上の事実が認められる。

以上認定したところによれば、控訴人らに対しては、いずれも買収令書の交付ができなかつたため、昭和二五年二月一一日買収令書の交付に代わる公告がされたものと推認するのが相当である。<証拠>によれば、控訴人三好昌和が東京都練馬区内に所有していた畑二筆につき東京都知事が発行した昭和二三年九月一三日付買収令書は前記巣鴨町の旧住所を記載したものでありながら、同控訴人のもとに到達していることが認められるが、当時同控訴人が巣鴨町の旧住所に居住しなかつたことは明らかであるから、この場合は幸いにして何らかの方法で転送先である肩書住所が判明したことによるものと考えられるから、右買収令書到達の事例を根拠にして本件第一の部分の買収令書の発送すらされなかつたと速断することは許されない。

(2)  ところで、すでに認定したように当時埼玉県においては買収令書の交付に代わる公告は同県報に掲載して行われていたが、<証拠>によれば、現在埼玉県が保管している埼玉県報で自創法による買収令書の交付に代わる昭和二五年二月一一日付公告を登載したものには、買収の時期及び記号を「昭和二四年七月二日埼玉を」とする昭和二五年二月一一日付告示第五六号(其の一)登載の号外(乙第一六号証)、同日付告示第五六号(其の二)登載の号外(乙第一七号証)、買収の時期及び記号を「昭和二四年一〇月二日埼玉わ」とする昭和二五年二月一一日付告示第五七号(其の一)登載の号外(乙第一八号証と第一九号証の二部)とがあるが、これらには控訴人らに対する買収令書の交付に代わる公告は含まれていないことが認められる。そこで、控訴人らに対する買収令書の交付に代わる公告を登載した他の埼玉県報の存否が問題となり、該埼玉県報による公告は、すでに認定したように控訴人らに対する買収の時期昭和二四年一〇月二日、買収令書の記号番号が「埼玉わ310」及び「同311」であるから、昭和二五年二月一一日付告示第五七号によつたものである蓋然性が大きいところ(もつとも<証拠>によれば、本件土地のうち第一及び第二の部分とも登記簿には、「昭和二四年七月二日」に買収処分があつたように記載されていることが認められるが、<証拠>のいずれにも買収期日は「昭和二四年一〇月二日」と記載されており、これらに照らせば、登記簿の記載は誤記と考えるほかない。)、被控訴人国側の調査にかかわらず、現在まで、控訴人らに対する買収令書の交付に代わる公告を登載した埼玉県報は証拠として提出されるに至らなかつた。しかし、すでに当時から二五年有余を経過しているばかりでなく、<証拠>によれば、埼玉県は、昭和二三年一〇月二五日、県庁舎が火災に会い、昭和三〇年に県庁舎が完成するまで、各所の仮庁舎で執務をしており、また右火災後文書の保管に関する規程が整備され、文書の整理、保存がその緒についたのは昭和二九年であること、昭和二五年発行の埼玉県報のなかにはすでに散逸し現在埼玉県に保管されていないものもあることが認められ、右によれば、県報が完全に保管されていることを期待することは困難であり、昭和二五年発行の県報のなかには散逸しているものもあるのであるから、控訴人らに対する買収令書の交付に代わる公告が掲載された県報が現存していないことをもつて、直ちに前記(1)の推認を覆するに足りないものというべきである。

(3)  他に前記(1)の推認を左右するに足りる証拠はない。

(三)  されば、本件買収処分が存在しないか、または無効であるとする控訴人らの主張は採用できない。

2  戸田町農地委員会の買収計画に対する埼玉県農地委員会の承認の有無について。

この点については、原判決一八枚目裏一〇行目「前掲乙第三号証」以下同一九枚目裏一行目「承認がされ」までを引用し、右に、「たものと推認するのが相当であり、右推認を左右するに足りる証拠はない。」を加える。

3  本件土地のうち第一及び第二の部分が本件買収処分当時農地で、かつ小作地であつたかの点について。

<証拠>を総合すれば、控訴人らは、右第一及び第二の部分を今泉吉太郎に管理させ、今泉は、本件土地周辺の所有地を数人の者に耕作させていたこと、戸田町農地委員会は、右第一及び第二の部分についても事前の一筆調査の結果これを買収適地と認め、その際、農地であることはもとより、耕作者の有無も直接耕作者に面接して調査し、右各土地についても宇部栄作の耕作の事実を確認したことが認められ、<る。>

右認定したところによれば、他に特段の事情のうかがわれない本件においては、本件第一及び第二の部分は本件買収処分当時、現況農地で、かつ小作地であつたと推認するのが相当である。

4  本件第一及び第二の部分は、本件買収処分当時付近一帯の土地について区画整理が進められており、近く工場用地にその使用目的を変更することを相当とする土地であつたかの点について。

<証拠>によれば、本件土地を含む埼玉県戸田市川岸一丁目付近は、もとの同県北足立郡戸田村大字下戸田字堤外で、昭和一二年頃から土地区画整理事業が行われ、本件買収処分当時仮換地中で、右事業は昭和三〇年一〇月一日頃までには換地処分の確定により終了したこと、しかし、右川岸一丁目付近は、本件買収処分当時一部荒地のほかは田や畑として耕作されており、右付近に明治乳業株式会社や株式会社向山工場が工場を建設したり、工場用地を取得したりするようになり、また被控訴人北海道炭礦汽船株式会社が宇部栄作らから本件土地を含めて付近一帯を買収したのはいずれも右区画整理事業が終了した昭和三〇年以後であること、が認められ、<る。>

右認定及び前記3に認定したところを総合すれば、本件土地のうち第一及び第二の部分が本件買収処分当時その使用目的を変更することを相当とする土地であつたとは到底いえず、他に右土地が右買収処分当時右のような土地であることをうかがわせる証拠はない。

5  以上認定したところによれば、本件買収処分は適法有効なものであるというべく、これの不存在ないし無効であるとの控訴人らの主張はすべて失当に帰する。

三よつて、本件買収処分が不存在ないし無効であることを前提とする控訴人らの本位的請求及び予備的請求はいずれも理由がなく、これを棄却すべきであり、これと同趣旨の原判決は相当であるから、本件控訴を棄却することとし、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条、第九三条に従い、主文のとおり判決する。

(蕪山厳 髙木積夫 堂薗守正)

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